願随寺
1910(明治41)年、北洋漁業家に雇われた船員たちが、漁業家と交渉するために集まった寺院です(詳しくはこぼれ話)。1733(享保18)年に長岡藩から広大な敷地をもらい移転してきた寺院で、幕末のころは新潟港から最も近い大きな建物だったため、外国使節との会談の場にもなりました。
魚を手にした観音像
北洋漁業家の片桐寅吉は真言宗を熱心に信仰し、私財を投じて真言宗寺院、片桐山吉祥院を建てました。現在、お寺は建物のみで住職はいませんが、境内には魚を載せたかごを手にした観音像が立っています。名前は魚籃観音。魚を抱いた観音という意味です。片桐家は2代にわたって北洋漁業を続け、その後新潟中央水産という会社組織になりました。魚籃観音は新潟中央水産の寄進になっています。片桐家は江戸時代から今も、ずっと魚屋さんです。
千歳丸慰霊碑
1918(大正7)年8月の末、カムチャツカの漁場から新潟港に向かっていた帆船千歳丸が台風にあい、北海道利尻島の沖合で行方が分からなくなりました。乗っていた船員、漁夫63名は必死の捜索 にも関わらず一人も見つかっていません。後に63名全員の名前を彫った慰霊碑が建てられました。行方不明になった船員には、石川県や富山県、青森県の人もいましたが、多くの漁夫は松ヶ崎村(現在の新潟市北区)出身の人たちでした。北洋漁業では、漁業中の事故や船の遭難で多くの人々が亡くなっています。
新潟税関
1970(明治3)年に建てられた新潟税関庁舎で、国の重要文化財です。開港五港のうち、当時の建物が残っているのはここだけ。北洋漁業家たちはここへ魚を下ろして輸入品として検査を受け、税金を払いました。現在、税関庁舎より信濃川沿いに新潟市歴史博物館みなとぴあが建っていますが、これはのちに埋め立てられた土地で、明治時代は税関庁舎の目の前を信濃川が流れていました。
ちなみに、現在みなとぴあが建っているあたりは昔魚市場があり、税関が閉じて以降も多くの漁船はこのあたりで魚を下ろしました。新潟地震で大きな被害を受けたのち信濃川対岸の万代島に移転し、現在は江南区に移転しています。